思い出
25日 3月 2024年
好きな孫の写真、前を向きなさい、そんな、情景だと思う、笑えるのがいいか、それとも、何の変哲のない、この写真が、一生の宝物と思っている、純粋、無垢、正義、誠、世界の中で一人でも、共感出来たらい い、高校野球球児が一生懸命母校と 、優勝をめざし、大会が繰り広げられている、勝っても負けても、その姿が最高だと思う、このプレーこそがこれからの日本を背負って行くのに違いない。
時代
24日 3月 2024年
時代と言うと、中島みゆきさんの唄が想い浮かぶ、子供達も成長し、時代を感じる、自分はもう終わったと感じるか、いや、まだまだ、それが人間なのかも知れない、良くおじいちゃんが言っていった言葉「地球はまわる」今から考えれば、すごい事だったのではないかと思う、こんな小さな島で育ち、都会も知らず、生きてきたおじいちゃんにはやっぱり、すごいの一語に尽きるのだと今も思う、老人クラブの存続、解散、今日の式根島の話し合い、自分の意見は解散を主張、何故かと言えば、島の事情を知り尽くしていると自負するからに他ならない、理想と現実は相反するが、何事もまとめ役が居なければ始まらない。
孀婦岩
06日 3月 2024年
島に住みながら、島を知らず、自分が恥ずかしい、富士火山帯に属す伊豆諸島式根島~果ては西ノ島(噴火を繰り返しているまさに火山島)地球の歴史を物語るこの一帯、地図で見ると、浅深の差はあるけれど、太平洋を南へ向かって岩礁が連なっている、父が魚労長として、鳥島へとびうお漁に行ったとの記憶がある、総トン数50トン、今から思えば、少ない機器をたよりに、良く荒海に出かけて行ったのだと思う、先人の偉大さと自然の恵み、そして今の社会の情報力に目を見張るばかり、「そうふいわ」99メートル NHK番組視聴よりの感想
ツアー
05日 3月 2024年
御釜湾まぼろしの温泉
立花 隆さんの生き様
07日 1月 2024年
気が付けば、もう76歳、生きて、生かされ、だろうか、自分のため、島の為、それぞれ、ウエイトの重さに違いはあっても、それなりに頑張った、さあこれからの人生、死を迎えるまで、有意義な生活をと考えた時、自分の不甲斐なさ、優柔不断に,改めて気づく、もうそんなに時間がない時、人は何を考えるのだろうか、頭に浮かぶのは若い時の自分の体力、今はそれに近づける様がんばってみても、体が動かない、人生は自分探しの旅、人生ってそんなものなのではないかと、この頃思う次第です、テレビ番組で立花さんのドキュメントを見まして、一途に走り、一途に生き、一途な人の印象を受けました、僕もそんな人間になりたいと思いますが、もう時は有りません、あるがままに、なすがままに、ビートルズの「レットイットビー」です、画像は僕の生まれ育った、石白川海水浴場です、強烈な台風により、昔の面影は一変しましたが、想うのは、こんな小さな小さな島ですが、僕の一生の宝物です。
島に生きる
23日 12月 2023年
息子が小学5年生の頃、ここ式根島にて、ロケが有りました、聞くところによると、山田洋次監督が若い頃、この島を訪れた事がきっかけらしい、約1月位の期間だった、私も何かのきっかけで、田中裕子さんの弟隆三さんと野伏港で釣りをして、4、5キロのメジナを釣った覚えが有ります、物見遊山がきらいで、寅さん(渥美 清)とは会えませんでしたが、表はあんなにひょうきんで明るい寅さんですが、実はものすごく繊細で、地味な方だとの事です、いろいろ調べてみても、その人柄が解ります、山田監督にこの島の菊水旅館でお会い出来る機会があり、この映画のサブタイトルでもある、「沖の小島に寅がゆく、寅がゆくから恋がある」この文句は誰が考えた?の問いにスタッフが考えたとの答えでした、監督さんの第一印象は何か取っ付きにくい人と言う私のイメージでしたがきっと奥深い何かを伝えたいオーラを持った人だと思います、もうかれこれ30年も前の話です、今の事はもう3日もたてば忘れるというのに、昔の事は忘れないものですね、いい思い出を有難う寅さん、山田監督、スタッフの皆様、僕はあの世に行っても決して忘れません。
人類の負の遺産
23日 12月 2023年
小学生時代、海は海藻で覆われていた、ヒジキ、ホンダワラ、ヒロメ、ありとあらゆる海藻群がひしめき、それを食用とする、貝類(アワビ、さざえ、とこぶし等)数えきれないほどの種類が海を覆いつくしていました、今から5年前位だろうか、夏の海水温は30度まるでぬるまゆ状態、天草が浜に打ちあがり腐敗したものを埋めた記憶がある、それから徐々に磯焼けが進み現在の海の中は 珊瑚の白化が目立ち、島の冬の漁師さんの収入源であるイセエビも姿を消した、基に戻せるならば、と考えてももう遅いだろう、次代に負の遺産を最小限にして残すのが私達の務め、人類の知恵を結集して一刻も早く、この問題に真剣に取り組んで欲しい。
カヤックスクール再び
21日 12月 2023年
もうこの舞鯛が釣れなくなったのは何年前か、正月、お祝い、結婚式、その名も「めでたい」魚でした、釣り方も繊細そして熟練を要す事で、島の遊びでもあり、老若男女の冬の風物詩でもありました、自分ももう年だと、隠居生活を決め込んだものの、さあこれといった打ち込むものが見当たらず、それなら、シルバーセンターの日雇い労働でもやるかと、働かせて貰ったものの、サラリーマン生活の私にはそんなに甘くなく、長くやってきたカヤックガイドに逆戻り、自分のていたらくさにあきれ果てる様ですが、これも人生だと考えを変え、来年もやることに決めました、こんな優柔不断なにんげんですが、何故かガイドではお客様の信頼も厚いと自負するところであります、まあ人はやることがあるに越したことはないと思っている次第です、焦らずのんびり若者からエネルギーを貰いながらやってゆく所存です。